LOGIN日本に着いてからこんなことに気付いてしまうなんて……
STAR☆の日本店は東京ではなくて、名古屋にあることをすっかり忘れていた。
名古屋は、わたしの故郷。忘れたい思い出が一番詰まっている場所だ。
「……はぁ」わたしは、隣のジョンに気付かれないように溜息を吐いた。
久しぶりに帰ってきた名古屋に懐かしさを感じつつも、嫌な予感が。
こういう予感って必ずと言っていいほど当たってしまうのだから、不思議だ。
「……はぁ」 これから住む場所に到着し、わたしの本日二度目となる溜息が炸裂した。 「おいおい、これから隣同士で住めるのに何だよ、その溜息は」「……隣同士だからでしょ」
ジョンが用意してくれたマンションは、駅からも近くなかなかの立地条件のところだった。しかもまだ綺麗で、マンションにしては広い方だ。
マンション自体は気に入って、これから住むには文句ないんだけど。隣の住人が問題だ。
「麻菜、早速明日デートするか」「はぁ?何度も言ってるけど、プライベートは関わらないでって言ったじゃない」
本当に懲りないんだから、ジョンったら。これまでにもデートに誘われてことあるけど、いつも断ってきたのに。
「デートはデートだけど、事前調査も兼ねたデートなんだよねぇ」「事前調査?」
「そう、これから僕たちが働くところがどんなところなのか調査も兼ねたデートってわけ」
「事前調査ね、それなら行く」
ジョンに言われて気付いたけど、事前調査は大切だよね。これから働く場所がどんなところか知っておいた方がいいと思うし。
売り上げが伸びないって嘆いているくらいだから、人が入りやすい休日に行けばよりベストよね。
「だからね、麻菜。これは調査を兼ねたデートであって、メインはデートの方……」「ちょうど明日は日曜日で人も入ることだし、早速調査開始ね」
「麻菜……調査も大切だけどね、デートも……」
「お昼頃がいいかな。じゃあ、明日の13時に調査開始ってことで」
「いや、だから……デート……」
「じゃあ、そういうことでよろしく」
まだ何か言いたそうなジョンを残し、新しい自分の家に足を踏み入れた。 「ふぅ……」 なんだかこの7年で随分この町は変わってしまった気がする。このマンションに来るまでの間、高校時代の友人の家の前を通ったんだけれど、建て直されていて他人の家になっていた。
よく知っている町に来たはずなのに、知らない町に来たようだった。
わたしはあの頃から時間が止まったまま。それなのに、この町は着実にこの7年という時を進んでいた。
時代に乗り時を進み続けるこの故郷と、時間が止まったままのわたし。
故郷にまで見捨てられた気分になった。
次の日、家を整えてからジョンと約束していた調査に向かった。整えるといっても、必要最低限の荷物しか持ってきていないから、それほど時間はかからなかったからよかったのだけれど。
「麻菜、まず何処に行く?」「何処に行くって決まってるじゃない。STAR☆日本店よ」
何当たり前のこと聞いてるんだか、と思いながらわたしは街中の百貨店に向かってズンズン歩き出した。「STAR☆日本店」は、名古屋の百貨店の中に入っていて、日本ではここだけだ。
「……着いた」 この百貨店の外装は全く変わっていなかった。懐かしいなぁと思いながら中へと足を踏み入れると、外装とは違い内装はガラリと姿を変えていた。
「STAR☆日本店」があるのは、5階の紳士・婦人服売り場。
「本当にここだけ暇そうねぇ」「あっちとは雲泥の差だなぁ」
わたしたちが働いていたアメリカ本社とは違って、ガランガラン状態。お客様が一人、二人……ポツンポツンと店内にいるだけだ。
「まぁ、何が問題か少し探ってみるか」
「はい」
すっかり仕事モードに切り替わったジョンに続いて、店内に入っていった。 店内を見回ったところ、特にアメリカ店と変わらず問題はないようなんだけど……どうしてお客様が入らないんだろう……
「ジョン、何が問題か分かった?」「いや、全く。ディスプレイもあっちとそれほど変わらないし、接客にも問題はなさそうだし……」
ジョンもどうして客が入らないのか不思議で仕方がないみたいで、うーんと二人で頭を悩ませた。どこが問題なのか分からない……
それなら、お客様の声を直に聞くしかないか。近くにいた30代後半の女性二人組の会話をこっそり盗み聞きした。
「ここ、外国で有名なブランドだから買いに来たけど、私好みじゃないのよね」「そうよねぇ、私もそう思ってたの。私たちが着るには少し派手すぎるわよね」
派手……? そうか……若い20代の女性が着るにはいいけど、派手すぎて着れないって言う人もいるんだ。
外国で受けがいいデザインが日本でもそうだとは限らないんだ。
次は20代前半の若いカップルの会話に耳を傾けた。 「気に入ったのなかったのか?」「うーん。デザインはすごく気に入ったんだけど、私にはサイズが大きすぎて」
サイズ……?あっ、そうだ。STAR☆はアメリカ製だから、小柄な人向けのサイズは用意してない。
日本の女性にはサイズも合ってないってことか……
そう言えば、わたしもアメリカにいた時はSTAR☆の洋服は大きすぎて合うものが少なかったっけ。
「さて、調査も終わったことだし!早速デートに行こう!」 まだ言ってるし……この人。ジョンって笑っちゃうくらいに前向きなんだから。
「だからデートはしません!今日はこれにて解散!」「え~!?麻菜ちゃん、ひどい……」
「ひどくないわ!麻菜ちゃんって気持ち悪いからやめて」
ビシッと言いきってジョンの方を見ると、彼は泣き真似をしていた。その反応もまた面倒くさくて、ジョンを放ってさっさと歩き出した。
ここがこれからわたしが働く職場。
売り上げを上げるためにわたしたちが送り込まれたんだから頑張らないと。
わたしに課せられた任務を達成するのは、これからたくさんの困難が待ち受けていそうだ。
それから数日後に、STAR-MIXの洋服が届けられた。「麻菜ちゃんの担当はこれね」幸さんに言われ渡されたのは、シャツにフリルのスカートという組み合わせのもの。本日からわたしが出したもう一つの提案も実際に行われることになっていたのだ。わたしたち店員がお店の服を着て、接客を行うというスタイルを。それを手に取り、何とも言えない気持ちになる。「あの……幸さん。これ、わたしには似合わないと思うんですけど」普段スカートなんて履かないわたしには、着こなせないこと間違いなしだ。「そんなことないわよ。麻菜ちゃんにはこれが似合うと思って取っておいたの」にこにこと笑いながら言う幸さん。ちゃっかり自分は大人の女性が着こなすようなパンツを選んでいるくせに。確かに似合ってるから何一つ文句はないのだけれど。「それにこれ、若い子がターゲットじゃないですか。わたしには無理です」「何言ってるの!麻菜ちゃんだって十分若いじゃない」バシッと腕を叩かれ、スタッフルームに無理やり入れられる。「男性どもはもう着替えたから入ってくる心配はないと思うけど、一応鍵閉めといた方がいいわよ」外から幸さんの声が聞こえ、念のため鍵を閉めた。そして、もう一度渡された服を見る。「………」本当にわたしがこれを着るのか。あまり乗り気がしないまま、わたしは渋々その服に着替えた。「わーっ!秀平、今ダメだって!」幸さんの賑やかな声が聞こえたと思ったら、ガチャッとスタッフルームの扉が開いた。そして、入ってきた彼とばっちり目が合ってしまう。「……&
「STAR☆日本店」を潰されないために、従業員全員が一丸となって必死に働いていた。常にスタッフルームはピリピリとしている。今年中に何としてでも売り上げを伸ばさないと。あと8ヶ月もないから、もっと頑張らないと。そんな気迫が伝わってくる。そして、あたしがした“ある提案”は、ジョンによって順調に進められていた。その結果が入ってきたのは、つい今朝のこと。「麻菜!聞いて喜べ!」「どうしたの?ジョン」いつもテンションの高いジョンだけれど、今朝は一段と高い。ジョンは興奮のあまりか、わたしの腕をペシペシ叩いてくる。「ちょっと、ジョン。痛いんだけど、それ、やめてくれない?」「あははっ、ごめんごめん!それよりビッグニュースがあるんだ!」そして、あまりにも声を張り上げるものだから、周りの人が迷惑そうにこちらを見ていく。ここは、駅のホーム。本当、いろんな意味でのトラブルメーカーかもしれない。「ジョン、ここはホームよ。もう少し静かにしなさい」「これが静かにせずにはいられないんだって!」「だから、静かにしなさいって言ってるでしょ!」「Ouch!!」思い切りジョンの足を踏むと、顔をしかめながら叫んだ。普段、日本語でやり取りしてるから、久しぶりに聞いた。ジョンがとっさに発した英語。しかも久しぶりの英語が「Ouch」だなんて。「音量下げて喋るから、もう踏まないでよ」確かに静かにしなさいとは言ったけど……そこまで声のトーン下げられると、ほとんど聞こえない。よく耳を澄まさないと聞こえないくらいの音量で、ジョンは話を進めた。「だからね、ようやく許可が下
そして、次に幸さん。「まずウチの店はサービス精神に欠けてると思うんです」「サービス精神?」「はい。従業員のお客様に対する態度もそうですが、お直しのサービスが充実していないようにも思えます」幸さんが言ったのは、洋服のお直しのサービスのこと。サイズが合わなかった時に、洋服を直すサービスのことなんだけど。確かにこの店のお直しのサービスはなかなか利用されていないような気も……「私もそれは思っていたんだ」店長も幸さんに同意する。「これからはお直しのサービスも利用して頂けるように、配慮していこう」少しずつ店の問題点が見えてきた。社長からの忠告は、この店にやる気をもたらしてくれたのかもしれない。そう思った。そして、ジョンの番に。「そうですね……。アメリカ本社と比べてみて感じたのですが」ジョンは少し背筋を伸ばして、語りだした。アメリカ本店と日本店の違いを……「確かにこちらに置いてある商品ですが、どれもアメリカでは売れたものです」ここ、日本店ではアメリカで売れていた商品が、よく並べられていた。つまりアメリカ人好みのファッションだということ。「しかし、日本とアメリカでは違います。アメリカで売れたものが、必ずしも日本で売れるとは限らないと思うんです」ジョンの言うとおりだと思った。ここに来てから、それはわたしも感じていたこと。ここに置いてある商品は日本人の好みと合わない、ということだ。「もちろんこの店にあるものすべて取り換えろとは言いません」ジョンはちらっとわたしたちを見回した。
わたしとジョンがこの「STAR☆日本店」に助っ人としてやって来て、仕事にも慣れてきた頃だった。店内がざわついたのは。ある人物の登場によって、和んでいた空気が一気に凍りつく。「て、店長!てんちょーっ!!」バタバタと慌てた様子で、店長を呼びに来たのは幸さん。そんなに慌てて一体……「どうした?田端、そんなに慌てて」「店長!そんなに呑気にしてる場合じゃありませんって!」「は、はぁ?」「だから!社長が!社長が血相を変えて店の前に!!」「はぁ!?社長が!?」社長と言うワードに突然顔色を変えた店長は、急いで飛び出していった。向かう先は、社長がいる店の前に。でも、一体どうしたんだろう。社長がわざわざこんなところに?何かあったのかな……妙な胸騒ぎがしたのはわたしだけではなかったらしく、その場にいた全員がこっそりと店長の後をつけた。「社長!わざわざこんなところに……一体何が?」「いやー、突然悪かったね、川端くん」「あ、いえ……」社長の声は穏やかなのだけれど、表情が硬い。これから良くないことが待ち受けていそうだ。固唾を呑んで、社長の次の言葉を待った。「君に忠告しておこう」「はい?」「もし今年中に成果を上げられないようなら、この店は畳んでもらう」「えっ……」え?どういうこと……?今年中に成果を上げないと、この店は潰れる……?この店……STAR☆日本店が
「高校の時、わたしと仲森さん……付き合っていたでしょ?」「えぇ……麻菜、今は彼のこと仲森さんって呼んでるのね」「まあ……今は恋人じゃないし。上司と部下っていう関係だから」こうして線引きをしなければ……これ以上、わたしが彼の中に踏み込んではいけない。彼とわたしは上司と部下―――こう何度も言い聞かせてきた。「仲森さんが事故に遭ったことあったでしょ?その事故でわたしたちが気まずくなったことも」「あったわね……でも、あれは……」「その時、たまたま両親からアメリカに帰ろうと思うんだけどっていう話が来たから、わたしはその話に乗った」アメリカ人の父と日本人の母が出会ったのは、アメリカのニューヨークだった。二人は若い頃アメリカに住んでいて、思い出の一杯詰まったアメリカに帰りたくなったらしい。わたしはちょうどいい機会だと思って、一緒にアメリカに行くことにした。彼を忘れるために、彼との関係を断ち切るにはタイミングのいい話だったから。「彼にアメリカにいるって知られたくなかったから、誰にも言わずに日本を発ったの」「そうだったの……」「春菜、今まで黙っていて本当にごめんなさい」深く頭を下げて謝った。親友なのに、何の相談もしないで勝手にいなくなって……「もうやめてよ、麻菜。あの時は本当にどうしてって何度も思ったよ」「うん……」「でも、麻菜が姿を消した理由は分かってた。それに麻菜は頑固だから、一度決めたら自分の意志はつき通すしね」わたしの性格など十分理解していた春菜には、全てお見通しのようだ
「二人は付き合ってるわけじゃないんだよね?」「それは、あり得ない」「そっかぁ。でも、麻菜が僕のプロポーズを断り続けてるのって、少なくとも仲森さんが関わっている。違う?」いつもは軽いジョンだけれど、たまに真剣な顔して告白してくることがあった。わたしはどうしても誰とも付き合う気にはなれなくて、ずっと断っていたけれど。それに仲森さんが関わっているかというと……「それは、違う」わたしは嘘を吐く。封印したあの思いを再び思い出すことがないように……「麻菜って本当に嘘吐きだね。でも、僕は諦めないから」「え……諦めないって……」「仲森さんと何かあったとしても、必ず麻菜を僕のものにしてみせるってこと」「そう……。まあ、頑張って」ここまで真剣な顔して言われちゃうと、どう反応したらいいのか分からなくなる。いつもみたいに軽く言われるほうがいいんだけど。それから何故か気まずくなって、会社まで無言になってしまった。「あのさ、麻菜……」会社に着いた時、ジョンが突然立ち止まる。ちょうどジョンが声をかけたのと同じタイミングで、どこかで聞いたような声が聞こえてきた。「麻菜?」「え……?」声をかけてきたのは、スラッと背の高い美人の女性が立っていた。あれ……この人どこかで……「もしかして春菜?春菜……だよね?」「やっぱり麻菜だったんだ!久しぶりじゃない!」「うん。久しぶりだね